『松陰中納言物語』
『松陰中納言物語』は、南北朝時代に成立したのではないかという説もあるが、成立年代については特定されていない。作者についても同様である。
体裁は、『源氏物語』を中心とした平安時代から、鎌倉、室町と流れていく(擬古) 物語と同様であり、主人公「松陰」の隠岐への貴種流離譚のほか、継子いじめ譚、入水譚と、それまでの物語の様々な要素を反映している。
本文は、物語全体のほぼ冒頭部にあたり、松陰中納言に降嫁された藤の内侍を恋慕していた人物が、腹いせに松陰中納言を陥れようとする部分である。計略としては、本文中にも登場する侍従を使って、松陰中納言が麗景殿の女御(松陰中納言の故北の方の姉)に宛てて書いたように見せかけた偽の恋文を届けさせ、麗景殿の女御と帝の怒りを買わせようとしたのである。本文はそれに続く部分である。主語の省略が多いため、丁寧に直訳をしながら主語と文脈を把握していく必要がある。
なお、この場面では、松陰中納言は既に大納言に昇進しているが、呼び名として「松陰中納言」とした。
敬語の理解についての設問。正解はエ。
今回の問題は、だれに対する敬意かが問われているので、敬語の種類を見分けることが重要となる。敬語は種類によって敬意の対象が違う。
まず敬語の種類を確認すると、「まゐらす」は謙譲語、「候ふ」は丁寧語、「奉る」は謙譲語、「給ふ」は尊敬語である。
次に、それぞれを見ていくと、は直前に「止め」とあるので、「止め」られる相手、「松陰中納言」への敬意である。は聞き手、ここでは「松陰中納言」への敬意。は「入れ」られる相手、「松陰中納言」への敬意。は「主上に」の「に」が格助詞・間接的主語の用法(「〜が」「〜におかれては」)なので主語は「主上」。そこから考えて「せ」は尊敬の助動詞(「せ給ひ」で最高敬語)と判断できる。よって、ここでの動作の為手は「主上」である。正解はエ。
このようなこととは少しもご存じでなく、(麗景殿の)女御がお召しになるので、(松陰中納言は)近ごろの嫉妬のお気持ちも、いくらかお晴らしになったのであろうかと、夕暮れの時分にお越しになる。左衛門の陣に、お車をお止めになって、麗景殿にお入りになったのを、「どのような理由とも分かっておりませんが、お留め申し上げよとの、ご命令でございます。」と言って、検非違使が大勢(松陰中納言の)お手を取って、左衛門の陣にお入れ申し上げる。帝はお聞きになって、(信じていた松陰中納言に裏切られたと思って)ご様子は大変しょげ返りなさって、流刑地を決めるようにとの、ご命令がある。
(松陰中納言は)中将に少しもお知らせになることができないことであったので、(そのころ中将は)籬の菊に映える夕日の光から(月の光に変わり)、月の光に染まり濃く映える紅葉の色に、(人の)物思いというものの深いことと、浅さということとを思い比べていらっしゃったところ、(そこに)お供の人々が戻ってきて、「こういうようなことで(ございます)。」と言って、すがりつくので、その場にいたすべての人が集まって泣き騒ぐ。(中将も)「私も、同じ罪でございましょうから、参上してお会い申し上げることを、急がなければ。弟君たちの行く末が、気がかりでございます。親しい者は皆、東国におりますので、あなた〈=藤の内侍〉より他に(頼りになる)人はいなかった(のです)。」と言って、(涙に濡れた)袖を絞りなさると、(藤の内侍は)「侍従までも、今朝から出たまま帰らない(のです)。(加えて、あなたまで)幼いお子たちを残しなさって、どうして出立なさろうとしなさるの(です)か。」と言って、お袖をとらえ(行かせないように)なさろうとするが、(中将は)「夜が更けるといけない(から)。」と言って、ご出立なさる。お慕いなさる(弟君たちの)お声の方を振り返ってご覧になると、傾く月の光がかすかに松の梢に映っているのを(ご覧になって、次の和歌を詠んだ)、
慣れ親しんだわが宿の梢に、これが最後かと見ると、月が澄んだ光を放っている、(そのように)月が主人となって住むよう(に、この家も別の人の住まい)に変わるのだろうか。
(中将は)宮中に伺候なさって、頭中将に「罪はどのようなことなの(でしょう)か。私も(松陰中納言の)いらっしゃるはずの所へ連れて行ってください。」とおっしゃると、(頭中将は)「罪があるようなこととも思わないのですが、(帝が)このようにお定めになったのですから、あれこれとお取りはからい申し上げたりするようなのも、軽率な行いだと思って過ごしているのです。夜が明けたならば、(松陰中納言は、流刑地の)島にきっと赴きなさるでしょう。当然対面もさせてあげたいけれども、私でさえ思うとおりにはいかないのでございます。(せめて)私の宿直所においでになって、お手紙でも差し上げなさってください。」と、お勧めになる。(中将の)思いのほどを表す言葉は、中途半端でしかなく(歌にして)、
涙川につらい瀬はあるというが、(逆に浮かぶ瀬もあるというのだから)水の泡〈=汚名〉が消えて水が澄むように、その罪が消えて、もとのように汀近い屋敷〈=松陰邸〉に住みたいものです。
(松陰中納言は)お手紙をご覧になると、いっそう涙をお止めになることができない。(もしも、これが)今生の別れと知っていたならば、来世に託してまた(来世でも一緒だと)互いに約束しておいたろうのに、これほどに浅い宿縁であるなら、いったいどうして縁を結んでしまったのだろう、まだまだ幼いお子たちの将来(はどうなってしまうのか)などと、(松陰中納言は)思いめぐらしておいでになり、お涙に沈んでいらっしゃるので、ご返事を催促申し上げると、お手紙を裏返しにして、
明日のことすら分からない(情けない)私なのでしょう。(だから)つらい涙の川に、私と同じように、(あなたも)沈まないでくれたらなあ。
都(に残す人)への(松陰中納言の)惜別の思いは、なくなりなさる筋のものでもなかったので、千の夜を一晩に(凝縮)したとしても、明けていく空(の情景)は(さぞかし)恨めしいことだろう。