かかりしことはつゆ知らせ給はで、女御の召さるるに、このほどの御妬みも、少し晴るけ給へるにやと、夕暮れのほどに渡らせ給ふ。左衛門の陣に、御車を止めさせ給ひて、麗景殿へ入らせ給へるを、「いかなることともわきまへ候はねども、止めまゐらすべきよし、仰せ言にて候ふ」とて、検非違使あまた御手をとりて、左衛門の陣に入れ奉る。主上に聞かせ給ひて、御気色いとしをれさせ給ひて、(注)配所を定むべきのよし、仰せ言あり。
中将につゆ知らせ給ふまじきことなりければ、籬の菊の夕映えより、月に染め増す紅葉の色に、御物思ひの深き、浅さを思ひなぞらへておはしけるに、御供の人々の立ちかへりて、「かくこそ」とて、(注)かい付くれば、あるかぎり集ひて泣き騒ぐ。「我も、同じ罪に候はんなれば、まゐりて会ひ見奉らんことをこそ、急ぎぬべけれ。弟君たちの行方こそ、思ひおかれ候へ。親しきかぎりは、東国に候ふなれば、(注)御方よりあらざりけり」とて、袖を絞り給へば、「侍従さへ、今朝より出でて帰らぬなり。幼き君たちを残し給ひて、など出で給はんとはせさせ給ふ」と、御袖をとらへんとし給へど、「夜もこそ更くれ」とて、立ち出でさせ給ふ。したはせ給へる御声々に顧みさせ給へば、傾く月の影かすかに松の梢にうつろふを、
なれなれし宿の梢を今はとて月やあるじとすみかはるらん
殿上に候ひ給ひて、(注)頭中将に「罪は何ごとにや。我をもおはすらん所へ誘ひ給へ」とのたまはすれば、「御罪のあらんこととも思ひ侍らねど、かう定めさせ給へるを、とかく計らひ奉らんも、軽々しき業と思ひ過ぐし侍る。明けなば島へ赴き給ひなん。対面もあらまほしかるべけれども、我だに心にまかせ候はず。我がかたへ入らせ給ひて、御文をまゐらせさせ給へ」と、誘ひ給ふ。思ふほどなる言の葉、なかなかに、
(注)涙川うき瀬はありと水泡の消えてぞすまんもとの汀に
御文を見給ふに、いとどせきあへ給はず。今をかぎりと知らましかば、後の世かけて契り置きてんものを、かくばかり浅き縁にあらば、何しになれそめけん、いとけなき君たちの行く末など、思ひつづけさせ給うて、御涙に沈ませ給へるに、御返事を急ぎ奉るに、御文をひきかへして、
明日知らぬ我こそあらめ涙川おなじうき瀬に沈まずもがな
都の御名残の、尽きさせ給ふまじきことなりければ、千夜を一夜になせりとも、明け行く空はうらめしからまし。