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古文
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●出典

あさつゆ

浅茅が露』は鎌倉時代の擬古物語。作者未詳。二位中将中納言)三位中将中将) という二人の主人公と、薄幸の姫君女君)との物語である。男女の情愛を好む二位中将中納言)が姫君女君)との悲恋の物語にかかわる王朝的な主人公であるのに対して、道心深い三位中将中将)は出家の物語に関わる中世的主題を担う主人公である。源氏物語』の影響を受けているが、源氏物語』じゅうじょうかおるにおうのみやが恋をめぐってのライバルであったのとは相違している。浅茅が露』は、息絶えたはずの姫君を北山で中将が発見し自邸に引き取ろうとするところで途切れ、末尾部は散逸している。

なお、出題にあたって本文を一部改変した箇所がある。

●本文解説
★人物紹介
  • 中将⋯⋯中納言の従弟いとこさんけいの途中で陣痛に苦しむ女性に出会い、手助けをした。子どもに添えられた品々の中に中納言愛用の笛を見つけたので、中納言に告げ、親子の対面をさせる。
  • 中納言⋯以前、かたたがえのために泊まった家で美しい女性と契り、別れに際して愛用の笛を形見に残した。女性が中納言に何も告げずにゆく知れずになったので身を案じている。自分の笛を持った子どもがいることを従弟の中将から知らされ、子どもに添えられていた品々を見て女性との浅からぬ宿縁に感涙し、子どもを自邸に引き取ることにする。
  • 中納言の恋人⋯本文には登場しない。中納言と契って懐妊したが、中納言に知らせぬまま姿を隠す。しっそう後、身を隠していた家で陣痛に苦しんでいるところを、通りかかった中将に助けられて男子を出産した。出産後すぐに容態が急変して息絶えた。侍女たちは中将に子どもを預けることとなる。
  • ちご⋯⋯⋯中納言の子ども。生後間もなく母親が息絶えたので、中将に預けられた後、中納言に引き取られる。
  • 大夫のめの⋯中将家の乳母。中納言の子どもを育てている。

中将は預かっている子どもの話をしようと中納言邸を訪れた。子どもが身につけていた笛が中将には見覚えのある笛なので、思いあたることがあるかと中納言に尋ねると、中納言は探していた笛であるのか確かめたいと言い、子どもの年齢を尋ねる。中将は笛を届けることを約束して出て行った。

待ちわびる中納言のもとに笛と色紙が届けられた。笛はまぎれもなく自分のものであり、色紙に描かれた絵や和歌は恋人と逢えない悲しみをつづった深く心を打つものであった。中納言は、恋人を探し出す手だてはないけれど、逢おうの時から考えても子どもはまぎれもなく自分の子どもであると確信してとめどなく涙を流し、「笛を残したから自分の子どもだとわかったのだ」という歌を色紙に書き加えた。

夕方、中納言は中将のもとを訪れて自分の子どもに間違いないことを告げ、子どもと対面した。子どもは中納言とうり二つで、女性との契りの深さを知った中納言は涙を流す。預かって育ててくれていた中将に感謝し、近いうちに自邸に子どもを引き取るつもりだと語る。中将は、出産の様子などは細かく話さないまま話が終わる。

●設問解説
問一

語句の意味に関する選択肢設問。

解答

取り組み結果

かへすがへすゆかしくなん」を単語に分けるとかへすがへす/ゆかしく/なん」となる。かへすがへす」は本当に」の意味。ゆかし」は、心がひかれて実際に自分で接してみたいという気持ちを表す言葉である。ここは、中将の預かっている笛と子どもの話を聞いて、半年ほど前から行方のわからない恋人と、彼女に預けた笛のことを、中納言が気にかけている場面であるので、ゆかし」は見たい・知りたい」ということである。なん」は係助詞で、結びのはべる」が省略されている。かへすがへすゆかしくなん侍る)」全体で本当に見とうございます」となる。よって正解は

【その他の選択肢】

は、見てもらいたい」が間違い。中納言は自分が笛を見たいと言っている場面であるのに、見てもらいたい」は人に見てほしいと頼む言い方である。

は、ゆかしく」の訳出が奥ゆかしい」となっているのが間違い。

は、かへすがへす」の訳出のなるほど」と、ゆかしく」の訳出の聞いた通り」が間違っている。なん」は係助詞であり、ん」は推量の助動詞ではないから、でしょう」という訳出も間違っている。

は、かへすがへす」の訳出の折り返し」と、ゆかしく」の訳出の知らせ」が間違い。知らせる」のではなく、知りたい」のである。また、〜て下さい」に該当する語句が二重傍線部に存在しない。

解答

取り組み結果

なべてにはありがたきさまなり」を単語に分けると、なべて/に/は/ありがたき/さま/なり」となる。なべて」が打消や反語表現を伴うときは、多く並一通り・普通」の意味である。ありがたし有り難し)」は存在することが難しい」めったにない」ことを表す言葉であるが、ここは中納言が恋人の女性の残した和歌や絵の筆の運び、墨のつき具合を見て感慨にふける場面であるからめったにないほどすばらしい」の意味である。さま」は様子」、なり」は体言に接続しているから断定の助動詞〜である)である。なべてにはありがたきさまなり」全体で普通ではめったにないほどすばらしい様子である」となる。よって正解は

【その他の選択肢】

は、ありがたき」の訳出の大して風情が感じられない」が間違い。

は、なべて」の訳出の並べてはおけないほど」が間違い。

は、なべて」の訳出のなぜか」、ありがたき」の訳出のありがたくなる気持ちのする」がともに間違い。

は、なべて」の訳出の幼児に持たせておくには」が間違いである。

解答

取り組み結果

見はじめたりしに」を単語に分けると、見/はじめ/たり/し/に」となる。たり」〜ている)は存続の助動詞、し」は過去の助動詞き」の連体形である。二重傍線部の直後の夜を隔てんも苦しくおぼえしほど」は、む)」〜ような)がえんきょくの助動詞、おぼえおぼゆ)」が自然と思われる・感じる」という意味の語で、夜を隔てるようなこともつらく感じたころ」であるから、見はじめ」は逢瀬を持ちはじめ」ということ。見はじめたりしに」全体で逢瀬を持ちはじめていたころに」となる。見はじめたりしに、夜を隔てんも苦しくおぼえしほどの形見にとどめし笛を」は中納言が過去を回想している部分である。よって正解は

【その他の選択肢】

は、見はじめ」の訳出の笛のけいをはじめ」が間違い。

は、見はじめ」の訳出の夕月夜の空を眺め」が間違い。空をながむる」のは絵に描かれている女房である。中納言が眺めていたのではない。

は、見はじめ」の訳出の描かれた絵や歌を見はじめ」が間違い。

は、見はじめ」の訳出の自分の子どもをはじめて見」が間違い。まだ子どもとは対面していない。

問二

敬意の対象に関する選択肢設問。

センター試験、私立大学などを始め、入試では頻出の設問である。敬意の対象は、以下の原則に基づいて把握する。

覚えよう!──敬意の対象
  • 尊敬語⋯動作の主体〜が)に対する敬意
  • 謙譲語⋯動作の客体〜をに など)に対する敬意
  • 丁寧語⋯聞き手読み手に対する敬意
A

解答

取り組み結果

Aひと取り寄せて見さぶらひしか」は、先日笛を取り寄せて見たと中将が中納言に語っている話である。候ひ候ふ)」は丁寧の補助動詞で、丁寧語は聞き手を敬う敬語であるから、敬意の対象は中納言である。よって正解は侍り」候ふ」の用法には、1〉謙譲の動詞、2〉丁寧の動詞、3〉丁寧の補助動詞の三種類があるが、ここの候ふ」は上に見る)」という動詞があるから丁寧の補助動詞である。

B

解答

取り組み結果

B笛のしるしまことならば、聞こえさせ侍らん」は、笛が本当に中納言のものならば中将に知らせようということである。聞こえさせ聞こえさす)」は謙譲の動詞で、謙譲語は客体を敬う敬語であるから、敬意の対象は中将である。よって正解は

C

解答

取り組み結果

C今日を過ぐさず参り侍る」は、今日のうちに中納言が中将のもとに参上したということである。参り参る)」は謙譲の動詞で、謙譲語は客体を敬う敬語であるから、敬意の対象は中将である。よって正解は

D

解答

取り組み結果

D生まれたまひしほど」は、児子ども)が生まれたときということである。給ひ給ふ)」は尊敬の補助動詞で、尊敬語は主体を敬う敬語であるから、敬意の対象は児。よって正解は

問三

文法の記述説明の設問。

解答

完了の助動詞「ぬ」の連用形

取り組み結果

助動詞のに」の識別は、1〉連用形に接続しているならば完了の助動詞ぬ」、2〉体言・連体形に接続しているならば断定の助動詞なり」と考える。絶え」が下二段活用の動詞絶ゆ」の未然形か連用形なので、に」は完了の助動詞ぬ」であり、下にけり」があるからに」は連用形である。

解答

過去推量の助動詞けむけん)」の連体形

取り組み結果

けんけむ)」は過去推量の助動詞。上に係助詞のや」があるから連体形である。

解答

自発の助動詞る」の連用形

取り組み結果

知ら」が四段活用の動詞の未然形で、女性との契りの深さが自然と思い知られるということであるから、れ」は自発の助動詞る」。下に侍れ侍り)」という敬語動詞用言)があるので連用形である。

問四

解答

中納言のもとに子どもが持っていた笛を届けるつもりであること。

取り組み結果

内容読解に関する記述設問。

内容説明の問題は、1傍線部を逐語訳する、2〉自分の理解を付け足す、3〉求められた形にする、の手順で行う。

まず傍線を逐語訳するために単語に分けると、参らす/べき/よし」となる。参らす」は謙譲語で差し上げる」、べきべし)」は現実的具体的な状況をもとに推量したり、自分の強い意志を表す助動詞で〜にちがいない・〜つもりだ」、よし」はべし」の連体形に接続しているから体言のよし」でこと」と訳出すればよい。形容詞の良し」ではない。参らすべきよし」全体で差し上げるつもりであること」となる。ここは、子どもの持っていた笛の話に興味を持った中納言のために中将が自宅に笛を取りに帰る場面であるから、傍線全体で、中将が「中納言のもとに子どもの持っていた笛を届けるつもりであること」を約束したという内容になる。子どもと対面するのは先の話であるから参らす」は子どもを参上させる」ではない。

解答のポイント
  • (ⅰ)中納言のもとに」という内容が書けていること。
  • (ⅱ)笛を届けるつもりである」という内容が書けていること。
問五

解答

待っていても誰も訪れて来ないはずだと、松虫の鳴き声を聞きながら寂しい思いで女性が泣いている様子。48字)

取り組み結果

和歌の内容読解に関する記述設問。

和歌の説明問題も、手順は通常の説明問題と基本的には同じである。

1〉逐語訳をしてみる、2だれが、どのような状況で、どのような心情で詠んでいるのか」ということを土台に修辞技法を考慮して、何をどのように詠んでいるか」を考える、3〉求められた形で説明する、という順序で考える。

1傍線を逐語訳すると、誰が訪れるはずかと松虫が鳴く」となる。ふ」は訪れる、べし」〜はずだ)は当然の助動詞、まつ虫」は松虫」である。松虫はただ鳴くだけであり、誰が訪れるのだろうか」と考えたりはしない。何か言いたいことがほかにあると気付かねばならない。

2〉この和歌のそばに描かれている絵は、粗末な家の軒端のおぎと、夕月夜の空をながむる」女房である。ながむ」は、物思いにふけりながらぼんやりと見る様子を表す言葉である。物思いにふけるとは、悲しみや悩みにばかり心を奪われていることである。空をぼんやり見ながらたれ訪ふべし」と物思いにふけっているのは松虫ではなく、女房である。その女房の絵を描いたのは中納言の恋人であり、彼女は中納言に事情を告げないまま姿を消して、どこかで一人寂しくひたすら悲しみに沈んでいた。松虫の鳴き声を聞きながら、女性は物思いにふける自分の姿を絵に描き、自分の悲しみを歌に詠んだのである。姿を隠した女性自身が誰訪ふべし」と思っていたのであり、誰訪ふべしとまつ虫ぞ鳴く」は姿を消した女性の心情としてとらえねばならないのである。

行方も告げずに女性は姿を消したのだから、中納言は女性のもとを訪れることができるはずがない。誰訪ふべし」は誰が訪れるはずか、いや、誰も訪れるはずがない」という反語になる。まつ虫」のまつ」は女性が中納言を待つ」ということ、鳴く」は女性が悲しくて泣く」ということである。まつ」と鳴く」はそれぞれかけことばになっている。姿を消した女性は、待っていても中納言は訪れて来ないと泣いていたのである。女性が一人姿を消して中納言に逢えないままで一人寂しく悲しんでいることと、そのことを和歌で誰訪ふべしとまつ虫ぞ鳴く」と詠んだこととの双方にかかわる同音異義語が掛詞である。

3〉以上をもとに考えると、待っていても誰も訪れて来ないはずだと、松虫の鳴き声を聞きながら寂しい思いで女性が泣いている様子」となる。

解答のポイント
  • (ⅰ)誰も訪れて来ないはずだ」などと「誰訪ふべし」の内容が書けていること。
  • (ⅱ)女性」の様子であることが書けていること。
  • (ⅲ)女性が待つ」ことが書けていること。
  • (ⅳ)女性が泣く」ことが書けていること。
問六

解答

笛を残しておいたから、中将の言う子どもがわが子であるとわかったということ。37字)

取り組み結果

和歌の内容読解に関する記述設問。

手順は問五と同じである。

1傍線の和歌を逐語訳する。笛竹のひとふし」は一本の笛竹のこと、とどめとどむ)」はとどめる・残す。Aずは、Bまし」は反実仮想でもしAでなかったならば、Bだったろうに」と訳し、いかで」はどうして」であるから、全体でもし一本の笛竹を残さなかったならば、私のこの音ともどうして知っただろうか」となる。

2〉ここまでに書かれていることは、1中将が中納言に、預かっている子どもと添えられていた笛の話をする、2中納言は心当たりがあり、笛を見せてほしいと中将に頼み、子どもの年齢を聞く、3中将から届けられた笛は中納言のものであり、色紙の歌と絵には恋人と逢えずに悲しむ女性の姿が描かれていたので、中納言は涙を流す、4記されていた子どもの誕生日も、中納言と女性が逢瀬を持った日から考えてわが子に間違いのないものであった、5中納言は色紙に和歌を書き添える、ということであり、中納言は笛と色紙を見てわが子であるとわかって歌を書き添えているのである。

傍線の和歌にはこの中納言の思いが述べられている。わがこの音」には私のこの笛の)音」とわが子」との二つの意味が掛けられている。ここは、笛の音色の話をしている場面ではないので、中納言の言いたいことはわが子」の方である。また、自分の子どもだと中納言はわかったのだから、いかで知らまし」はどうして知っただろうか、いや、知ることはできなかっただろうに」ということで、反語である。傍線の和歌の解釈はもし一本の笛竹を残さなかったならば、私の子どもともどうして知っただろうか、いや、知ることはできなかっただろうに」となる。

3〉以上をもとに、中納言の言っていることを考えると、笛を残しておいたから、中将の言う子どもがわが子であるとわかったということ」となる。

解答のポイント
  • (ⅰ)笛を残しておいたから」などの内容が書けていること。
  • (ⅱ)わが子」などと子どもについての話であることが書けていること。
  • (ⅲ)知ることができた」などの内容が書けていること。
問七

解答

子どもは、中納言の御鏡に映る顔にも間違うはずもないほどよく似ているように見えていらっしゃる。

取り組み結果

現代語訳に関する記述設問。

現代語訳は、傍線部を単語に分け、一単語ずつ現代語に置き換える作業である。その逐語訳を土台にして、自分の理解を付け足していくことになる。

品 詞 分 解

御鏡の影」は御鏡の顔」のことを表す。ここは中納言が子どもの顔を見て自分の鏡に映った顔とそっくりであると気付く場面である。まがふ」は間違う」ということ、べく〜あら」はべから」と同じで〜はずだ」、ず」は打消〜ない)、見え見ゆ)」は見える」、給ふ」は尊敬の補助動詞でお〜になる」と訳す。見え給ふ」でお見えになる・見えていらっしゃる」とすればよい。よって全体で子どもは、中納言の御鏡に映る顔にも間違うはずもないほどよく似ているように見えていらっしゃる」となる。

解答のポイント
  • (ⅰ)主語子ども」が正確に書けていること。
  • (ⅱ)わが」を中納言の」、影」を顔」などと正確に訳出できていること。
  • (ⅲ)まがふ」を間違える」などと訳出できていること。
  • (ⅳ)見え給ふ」を見えていらっしゃる」などと訳出できていること。
問八

解答

取り組み結果

内容読解に関する選択肢設問。

まず、傍線かかる」はこのような」、しのぶ草」は人を思い出すもととなるもの」、種」は原因・もと」、べし」〜はずだ・に違いない)は当然の助動詞、侍り」〜ます)は丁寧の補助動詞であるので、全体でこのような人を思い出すもととなるものを取るに違いない』とは思いも寄りませんでした」となる。

次に、傍線部直前の行方も知らずなりしを、月ごろ、いづくにあるらんとばかりたづねまほしく侍りつれど」は、3の中納言の恋人は半年ほど前から行方がわからなくなっている」こと、月ごろ」は数か月」、いづく」はどこ」、らん」〜ているだろう)は現在推量の助動詞、たづねたづぬ)」は探す」、まほしくまほし)」〜たい)は願望の助動詞、つれつ)」〜た)は完了の助動詞であるので、全体で恋人の行方もわからなくなったのを、ここ数か月、どこに暮らしているのだろうかとばかり探したくございましたけれども」ということである。ここは中納言がわが子と対面している場面であり、中納言は自分とそっくりなわが子と対面して行方の知れない恋人を思い出しているのである。よってしのぶ草の種取る」とは中納言が、行方不明の恋人を思い出すもととなるわが子と対面する」ということである。正解はしのぶ草」のしのぶ」は人を思い出す」ということであり、我慢する」ではない。中納言が我慢していることは本文に書かれていない。

【その他の選択肢】

恋人が⋯子どもを奪い取りに来る」が間違い。行方のわからないまま恋人は息絶えている。また、しのぶ」の訳出が我慢する」になっているのも間違い。

中将には昔の恋人に対する愛情が⋯残っている」が間違い。昔の恋人がいるのは中納言である。また中納言が探していたのは恋人であり、中将に言われるまで子どもがいることを知らなかったので、探しても見つからなかった子ども」も間違い。

中将の恋人」が間違っている。また中納言は笛や絵を一人で見たのであるから、笛と絵を子どもと一緒に見る」も間違い。

中納言が⋯我慢できずにいる」が間違い。また、今は中将が子どもを預かっているが、中納言は中将に向かって渡し侍らん」子どもを引き取りましょう)と言っており、今後は、中納言が子どもを自邸に引き取って育てることになるのであるから、中将は⋯養育することになる」も間違いである。

●現代語訳

中将は)不思議なことがございますのを、相談し申し上げようと思いまして。この先ごろ、思いがけない者が、大夫の乳母のところに、たいそうかわいい子どもを残して去っていましたので、頼りとするはずの事情があるのだろうかということで住まわせていますと聞いていますけれども、これが母の形見だといって身につけている物がございますが、笛でございますと申しましたのを、不思議に思って先日取り寄せて見ましたところ、見た気持ちがしますことよ。本当に、もしかしてそのようなことも思いあたりなさるか」とおっしゃるので、不思議で、気にかかりなさる笛のことであるので、中納言は)思いあたることはございませんけれども、調べたい笛でございます。それを見とうございます。子どもは何歳ぐらいでいるのでしょうか」とおっしゃると、十月ぐらいの生まれだ)とか申しました」もし、笛のあかしが本当であるならば、申し上げましょう。本当に見とうございます)」とおっしゃるので、すぐに届け申し上げるつもりだということをおっしゃって、お出になった。

気がかりにお待ちになるうちに、すぐに届け申し上げなさった。御覧になると、間違えるはずもないその笛である。

それとなく書いている色紙の字や、絵などの筆の流れや、墨のつき具合まで、普通ではめったにないほどすばらしい様子である。みすぼらしい家の軒端に荻があり、夕月夜の空をぼんやりと見ながら物思いにふける女房を描いているところに、

訪れよとも思わない荻の上風が、事があるとまず返事をすることだ。

夕暮れは、蓬よもぎの根本の白露に、待っても誰が訪れるはずかと松虫が鳴くように泣く。

また、苦しそうな様子で横になっているところに、笛を手でもてあそんで横になりながら、涙をぬぐっているところに、

笛竹の悲しい一本を形見としてこの世は長い間音が途絶えてしまったなあ。

古人の歌も、このような趣向ばかりを、書いては消し書いては消しされている。

じっと見ると、涙は音を立てる滝のようにこぼれなさった。逢瀬を持ちはじめていたころに、夜を隔てるようなこともつらく感じたころの形見として残した笛を、今日は自分が形見として見なければならないことよ。この世には生きているのか生きていないのかを尋ねることができる手だてもない。子どもが生まれた月日も書きつけている。十月十日とある。以前の方違えのころから間違えるはずもない。

もし一本の笛竹を残さなかったならば、私の子どもともどうして知っただろうか、いや、知ることはできなかっただろうに。

と書き添えなさる。

暮れたので、すぐに中将のもとにいらっしゃって対面なさって、間違えるはずもございません。思いがけない気持ちで、会いたくて、今日のうちに参上しています」と申し上げなさると、事情がわからないことがございますので。たいそう失礼であるだろうけれど)」と言って、抱いてお出しになっている子どもは、乳母の様子などが風情のなくはない。灯台近くにじり寄って御覧になると、慣れ親しんでいる様子で、子どもは、)自分=中納言〉の御鏡に映る顔にも間違うはずもないほどよく似ているように見えていらっしゃる。愛情は浅くないのに、訪れることもなくておりましたのを、私をも恨めしく思うこともあったのだろうか、行方もわからなくなったのを、ここ数か月、どこに暮らしているのだろうかとばかり探したくございましたけれども、このような思い出すきっかけの子どもと対面するはずだとは思いも寄りませんでしたけれども、宿縁の浅くないことも、今痛感せずにはいられません」とおっしゃるけれども、御涙がこぼれてしまったのを、浅くなかった宿縁だと御覧になると、もっともで、風情があったあの人の様子だよ、他人である自分までも忘れにくいと感じなさるので、この子どもを見つけていたことも、ありのままに言うの)は煩わしいので、言い直しながら申し上げなさる。中納言は)きっと行方なくさすらうに違いなかったのに。引き取りなさった御宿縁は、同じこととしてお思いになって世話をして下さい。近いうち、ふさわしいような日暮れに、引き取りましょう」とおっしゃるので、お生まれになった時の様子をも、思いがけず世話したことなどは申し上げなさらない。

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