せめての心やりどころに、ひきつくろひて、内裏へまゐり給へり。雪かきくれて降りければ、御遊びあるべきとて、中納言おはしますほどなりければ、御気色よくて、「今日の空はいかが」とて、御覧ずれば、ありしにもあらず痩せ痩せとして、いとどなまめかしく、うちにほひたるまみ・口つきなどを、御目とどめてまぼられ給ふ。「これに少しもなれそめたらん女は、必ず執はとまりなん」と、色めかしき御心に思されて、外を少し御覧じ出だして、
人知れず恋を時雨の初雪は涙の雨に消えやわたらん
とうちずんじ給ひて、中納言の方を見おこさせ給へる御まじりの、ものはづかしげに少しうちゑませ給へば、「我が思ふ心の中しるく見ゆるにや」と、顔うち赤む心地して、聞きも知らぬやうにてさぶらひ給ふ。
御遊び果てて、人々はまかで給へるに、中納言の立ちとどまりて、ながめ歩き給ふに、(注)承香殿のあたりを、何となきやうにて聞き給へば、人のものいふ声の、忍び忍びに聞こゆれば、あやしくして、「帝の、この頃は、たがまゐるとも聞こえぬに、この御局へ、繁くわたらせ給へる。(注)更衣などの、御心にしみたるがさぶらひ給ふか」とおぼつかなくて、やをら立ち聞き給へば、上の御声にて、「もの思ふなるは、苦しきものぞよ。この忍び音のつきせぬこそあまりいぶせきわざなれ。されど、(注)まろをにくしと思ひ給ふもことわりぞ。思ひあはする人のたがはずは、げにいかばかりの人にか心をうつし給はん。見るままに愛敬づき、うつくしきことのならびなきを、まろ女ならましかば、浄土の迎へなりとも、この人を見捨てて、離るべしとは覚えぬ様のしたるを、なほいかなりしことに、かくあくがれ給ふぞ。されど、片思ひはよしなきこと。まろは、さやうにものは思はせ奉るまじきを」と、つぶつぶとのたまはする御声の聞こゆれば、なほあやしのわざやと思ひて、ひまを求め給ふに、柱のそばに虫のくひたる穴のあれば、もしや見ゆるとのぞき給ふに、上のおはします奥の方に、紅梅の濃く薄く襲なりたる袖口、青き単、赤き袴、髪の裾のうちひろごりたるやうにて、ほのぼの見ゆる。
誰とはさだかに見えず、のたまひ続くる言の葉あやしきに胸うちさわぎて、なほたちのかでまぼり給へば、袖を顔におしあてて、忍びがたげに泣く様の、まがふべくもあらぬを見つけ給ふに、胸は音にも聞こえぬべくさわぎて、涙さへすすみ出づるを、なほひが目にやと、目をつけ見るに、顔に袖をおほひて、ひきもはなたねば、「こはいかに、(注)とふにつらさのまさるとかや、ことわりぞ」とて、袖をひきのけ給へば、泣き赤み給へる顔の、ただそれと見なすに、さらにいはんかたなくあさましくもうれしくも覚えて、しばし立ち給ふに、つゆなびき奉る気色もなし。
ややありて、上は帰らせおはします。ほのかに見ゆる面影の恋しければ、また立ちよりてのぞき給へば、ひれ臥して、髪の行方も知らず、泣き給へる様の、やがてうち入りてもなぐさめまほしく思せども、人目つつましくて、光家といふ(注)御随身に、御硯召して、御(注)畳紙に、あさましきことはなかなか聞こえんかたなくて、
世にあらん心地こそせね行方なき月の住み処をそこと見しより
と書きて、日の暮るるもおそくて、たそがれ時に立ちより給ひて、(注)中納言の君とたづね給ふ。